ありがとうございます。私たちは人として生まれ、そして有り難い仏さまの御教えに御出会い出来た喜びから「ありがとうございます。」こうご挨拶させていただいております。
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御法門

御法門とは、世間で言うところのお説教、法話のことで、現在・過去・未来、三世を見通されたみ仏が悟られた法を学ぶことができるのです。そのみ仏の教えを守り実践させていただくことによって、正しく豊かな人生を歩む事が出来るのです。

本門佛立宗の御法門では本門法華経のみ教えを御教歌(み教え歌)をテーマにして解り易く説かれます。

この法話のページは毎週更新する予定です。正しい信仰へ入る為の扉・御法門(法話)を学び、あなたも正しい人生を歩みませんか?


■今週の御法門

「幸せになる方法は、目の前にあるのです。」 --- 山内良鷲師

今週は、気付いて、実践させていただけば、幸せになれると言うお話しです。

さて、「妙法蓮華経」というお経は28章に分かれています。その16章「如来寿量品」(にょらいじゅりょうほん)には、次の様な譬え話しが説かれています。

【良医治子(ろういじし)の譬え】
ある国に学識豊かで知恵もある名医がいました。名医には大勢の子供たちがおり、名医が旅に出ている間に、皆が誤って薬棚にある毒薬を飲んでしまいました。
家に帰った名医は、もがき苦しむ子供たちを見て、あわてて薬を調合し飲ませようとしました。
比較的症状の軽い大きな子供たちは、薬を飲んですぐに治りましたが、まだ小さな子供たちが、マズイとかニガイとか言って、薬を嫌がって飲もうとしません。
良医は思いました。何と言うことだろう。この小さな子供たちは、もがき苦しみ、このままでは命までおとしてしまう。
それなのに、兄弟達がこの薬を飲んで元気になる様子を見ても、薬の効用を信用せず、飲もうとしない。これは毒で心まで犯されてしまったに違いない。何としてでも、この子たちに薬を飲ませて救わなければならない。
名医は、知恵を絞り、やり残した仕事があるからと言って旅支度をして家を出ました。
しばらくして、名医は隣国から突然父親が死んだと、人を使わせて子供たちに伝えさせたのです。
子供たちは、父親の死という現実に直面し、悲しみのあまり正気に戻り、父から与えられた薬を思い出し、それを飲んで、全員が助かりました。
父の死の知らせは方便(ほうべん・手だて)で、父の元気な姿を見た息子達は、さらに喜びました。
 
この譬え話に出てくる小さな子供たちを、「為凡夫顚倒(いぼんぶてんどう)の衆生(しゅじょう)」と言います。
「凡夫」とは人間のこと、「転顚」とは物事を逆さまに見るということで、苦を楽と見・楽を苦と見る。仏様の教えを素直にいただけば幸せになれるのに、逆さまに捉えて素直に実践出来ない人のこと。
平成の時代に生きる私達は、正に「為凡夫転顚の衆生」だと言えるでしょう。

仏様は、「如来寿量品」に次のように説かれています。
「是(こ)の好(よ)き良薬(ろうやく)を今留(いまとど)めて此(ここ)に在(お)く。汝取(なんじと)って服(ふく)すべし、差(い)えじと憂ふる(うれうる)ことなかれ。」
このお経文は、「ここに何にでも効く大良薬を置いておくから、それをいただきなさい。決して苦しみが癒えないと憂うことはないんだよ」と仏様が私達に語りかけておられるのです。
「大良薬」とは「御題目」のことで、同じく「如来寿量品」には、「色香美味(しっこうみみ、皆悉具足(かいしつぐそく)」と御題目は色も香りも味も全てパーフェクトな「お薬」であると説かれています。

私たちが、南無妙法蓮華経と御題目をお唱えすることは、その大良薬を素直にいただいていることです。まずはお唱えしてみることです。信仰とは頭で理解することではなく、実践して身体と心で感じることが大事なのです。

【佛立開導日扇聖人の御教歌】
「のんで見て御利益を得てなる程と そこで薬の第一をしる」

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■2月19日の御法門

「野に咲く梅のように」 --- 松本良光師

2月の花といえば、やはり私は梅を一番に思い浮かべます。まだまだ寒さの残るこの季節に、力強くも可憐に咲いている梅の花。香りも美しさも際だっていますよね。まさに、厳しい自然がそのように作りあげるに違いありません。そんな梅の花を見て、私たちはその美しさと香りに酔いしれ、また力強く咲いている姿からは勇気をもらったり、励まされたりするものです。

梅

その一方で、梅の花も他の花と同様に温室で育てられたものがあります。季節を一歩先取りして、部屋に飾られた梅の花も、私たちの目を楽しませてくれます。ただ、室内で育てられた梅の花は、やはり自然のものより、香りも美しさも劣っているもの。梅の花がかもしだす勢いが違うのです。それに、室内で育てた梅の花は外に出すことができません。そんなことをすれば、厳しい自然環境に適応しきれず、梅の花はあっという間に枯れてしまうことでしょう。やはり、自然の梅こそ本物なのです。

これは人間でも同じことがいえます。この厳しい社会の中で色んな苦労をし、辛い経験を味わいながら努力を重ねていく。そういった生き方をしてきた人たちは、やはり自然の梅のように力強く、気高いものです。反対に、そういった苦労や努力をしてこなかった人。いわゆる【温室育ち】の人たちは、困難を乗り切る経験がない分、どうしても弱いものです。まさに、室内で育てた梅と同じで、「社会」という厳しい環境にさらされた時には、あっという間にダメになってしまうことが多いといえるでしょう。

ここで問題なのは温室育ちの人たちではなく、【温室で育てた人】。つまり、育て方に問題があったということです。人の育成の仕方について、開導聖人は梅の花を喩えにされて次のように御教歌下されています。

【佛立開導日扇聖人の御教歌】
「だまされてさいたる室のうめなれば さむい所へ出されざりけり」
御題:気儘そだての子は人なみにならず
(開化要談 一・扇全十三巻三九頁)
*「暖かい室内で咲かされた梅の花は寒い所に出すことなどできない」
→「温室育ちの人間は社会という厳しい環境に適応することができない」との意

【温室育ち】の原因は育成者の「気儘(きまま)育て」に外なりません。要は、育成者が自分の思う通り、好き放題に育てるということです。そして、そんな育て方をされた温室育ちの人たちは「人並みにならない」、非常に脆い人間となってしまうのです。これは育児だけではなく、あらゆる育成の現場でも同じことがいえます。人にものを教え、育成をする立場にある人は、よくよく肝に銘じておかなければなりません。

では、どのように育成をすればよいのか。それは何事もきちんとありのままを伝え、
【正しい】と【間違い】をハッキリと教えてあげることです。相手の顔色を伺いながらコロコロと判断を変えてはいけません。「正しいものは正しい」「間違いは間違い」を貫く。決して育成者の我を出してはいけない、「気儘育て」は禁物なのです。

誰もがわかっていることですが、自分の体を鍛えられるのも、自分の心を鍛えられるのも、当の本人だけです。しかし、それでも育成する側からすれば、本人が辛い、苦しい思いをするのは見たくないと思ってしまうもの。ついつい手をゆるめてしまうことがあるかもしれません。ただ、そうすることで将来もっと辛く、悲惨な目に遭うのは外でもない、当の本人なのです。

こんな時、世間ではよく「ここは心を鬼にして…」などといいますが、それは間違いです。心を鬼にした時点で、きっと教える内容も教え方も間違っていることでしょう。それではいけません。そうではなく、相手のことを本当に心の底から思いやることが大切。つまり、思いやりが極まることで自然と本当のことを教えずにはいられなくなる。そうなれば、たとえ、本人にとっては多少厳しいことであったとしても、正しいことをきちんと教えられるものです。その時の心はまさに鬼どころか仏菩薩の心に等しいといえます。これこそ本物の思いやり、本物の育成なのです。

どうかお互いに、厳しい寒さの中でも凛と花を咲かせている、そんな気高い梅のような人間となれますように、しっかりと自らを律すると共に正しい育成につとめてまいりましょう。それでこそ共々に向上していくことができるのです。

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■2月13日の御法門

「今は何に挑戦していますか?」 --- 山内良聴師

年が明けて、一か月以上たちます。
新しい年の抱負を皆さんはどのように掲げていますか?
現在、その目当てに向かって、何か行動を起こしているでしょうか。

私が子どもの頃は、学校の先生に「新学期の抱負は何かな?」と問われて、いろいろと答えていました。けれども、それに対して全く意識して取り組んでいなかったという思い出があります。心から達成したいと思っていないその場限りの抱負だったと思います。

年を経るにしたがって、人に抱負を語ることもなくなり、未来に向けて自分の願いというのもあるような無いような。ただ目の前のしなければならないことに振り回されている。このような日常を過ごしている方も多いのではないでしょうか。

とはいえ、普段は意識していないにしても「せっかくの人生だから、後悔の無いようにしたい。」これは、すべての人が持つ未来に向けての抱負だと思います。そして、その抱負を実現するためには、今からそこに向けて行動を起こさないと「子どもの頃の抱負と一緒」で、ただ時間が過ぎるばかりとなってしまうでしょう。

昨年のプロ野球イチロー選手は、WBCで日本を二度目の世界一に導き、メジャーリーグ史上初の9年連続200安打という偉業を成し遂げました。そのイチロー選手は現在、アメリカメジャーリーグのシアトルマリナーズに在籍していますが、以前、ヤンキースへの移籍話があったそうです。

ヤンキースといえば、ワールドシリーズ(メジャーリーグ一位を決める試合)を何度も制覇しているメジャーリーグ屈指の名門です。そんなチームから声が掛かったにもかかわらず、彼はマリナーズに残留しました。

「移籍してしまうと、ヤンキースにいる一流のピッチャーと対戦できなくなるから」ということが、残留した要因だったそうです。

ヤンキースに入れば年俸も上がるし、名ピッチャーとも同チームになれば対戦することも無くなり楽になる。普通はこのように考えるはずです。しかし、彼は違いました。見ているところが普通とは違ったのです。彼は安打を打つということ、自らのバッティング技術の向上に目を向けていたのです。それで、ヤンキースへの移籍よりも、名ピッチャーとの対戦を望んだわけです。

ぶれずに自らの信条にしたがって、目先の利を取らなかった。本当にすごいと思います。そんなイチロー選手だからこそ、メジャーリーグ史上初の9年連続200安打という偉業を成し遂げられたのでしょう。

論語には次のような語があります。
「之を如何せん、之を如何せんと曰はざる者は、吾之を如何ともするなきのみ。」
どうしようか、どうしようかと言わないような者に対しては、私もどうにもしようがない。

孔子が弟子教育について述べた言葉。自ら求めようとしない人には、どうにも教育のしようがないと孔子は言います。人は目当てとすることを心に置いて、普段からそれに対してどうしようかと思念しておかなければ、進歩向上は難しくなるのです。
「後悔のない人生」を目指すのであれば、そこに心を置いて意識し続けることが大切です。そうしませんと、目先の楽しいことに振り回されて「人生振り返れば何もない」ということになりかねません。

「せっかくの人生だから、後悔の無いようにしたい。」
ご信心は、この抱負を実現するための教えを学び、実践するものです。
お祖師様(日蓮聖人)は「まず、臨終のことを先に習いなさい」と教えてくださいました。やはり、大切な人生だからこそ最後のことを考えて、後悔しないように意識して、自らの行いを見つめ続けなければなりません。
普段の生活に加えてご信心に励むには、相応の労力がいります。ですが、ご信心によって得られるものはとても大きなものなのです。

【佛立開導日扇聖人の御教歌】
「骨折て覚えた時のうれしさは 文字ばかりにも限らざりけり」
(遺授緊要抄 初編・扇全二十八巻三四八頁)

「努力して文字を習って、はじめて自分の名前を漢字で書けるようになった。本当に嬉しいものである。この嬉しさは、文字を習うことだけに限らない。労力をかけたからこそ、得られる喜びが大きいのである。」このようにお示しです。

「せっかくの人生、後悔の無いようにしたい」
この人生の抱負を実現するために、お互いにご信心に励ませていただきましょう。

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■1月31日の御法門

「ファミリーデーに参詣する理由」 --- 山内良鷲師

WEB御法門のページを見て下さって、ありがとうございます。
今回は、今年から始まった「ファミリーデー」についてお話しさせていただきます。

本門佛立宗では、ご信者同士のご挨拶は、「おはよう」でもなければ、「こんにちは」でもありません。いつでも何処でも、ご信者同士が顔を会わせれば、「ありがとうございます」とご挨拶をさせていただきます。

何故「ありがとうございます」なのでしょう。「ありがとうございます」ですから、感謝の気持ちを表していることは間違いないでしょうが、ご挨拶させていただく相手に感謝をしているのでしょうか。当然、それもありますが、実はもっともっと深い理由があるのです。
その理由は、「ファミリーデー」に参詣され、お導師の御法門を聴聞いただけば、良くご理解いただけると思いますが、ここでは一番大事な理由をお話しましょう。

そもそも「ファミリーデー」の法要とは、廣宣寺所属の全ご信者が、御題目のみ教えを伝えて下さった方々、高祖日蓮聖人、門祖日隆聖人、開導日扇聖人に感謝してお勤めさせていただく法要です。
また、毎日健康で、元気にご奉公に、仕事に、勉強にと過ごさせていただいている御礼のためにお勤めさせていただく法要でもあるのです。

ご信者の皆さん一人ひとりが願主です。報恩感謝の思いをもって、家族そろって賑やかにご参詣させていただきましょう。 

今月(2月)の「ファミリーデー」は、14日の日曜日、午前10時からで、「三祖聖人御修行」に併せて「高祖御降誕会」を併修させていただきます。

諸説ありますが、日蓮聖人は、承久四年(1222)今から788年前の2月16日。現在の千葉県小湊町に御降誕されました。

今月は私達佛立信者の教えの親である日蓮聖人のお誕生日なのです。ささやかですがご供養も準備させていただいています。子供たちには、小さな誕生日ケーキも用意しています。家族そろって参詣させていただき、廣宣寺挙げてお祝いをさせていただきましょう。

【佛立開導日扇聖人の御教歌】
「思へ人祖師御出世のなかりせば 御題目は誰が手よりきく」

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■1月22日の御法門

「互いを認め合って心を一つに!」 --- 松本良光師

皆さんは【目玉焼き】に何をかけて食べますか?私は醤油ですが、きっと色んな答えが返ってくるに違いありません。塩、コショウ、ソース、マヨネーズ、ケチャップ…。中には「私は何もかけません!」という方もいらっしゃることでしょう。それに焼き加減にしたって「半熟の方がいい」と言う人もあれば、「完全に火を通した方がいい」という人もあります。たかが【目玉焼き】ですが、なかなか奥が深いようです。

このように、一つの物事に対して色々な考えや意見が生じるということは、私たちが生きていく中で頻繁に起こりえることです。例えば、育児や学校教育のあり方にしてもそうですし、会社経営や景気対策、また健康管理一つにしたって、どれも目指すところは一つなのですが、人によって色んな考えがあって、それだけ選択肢もたくさんあるのです。

しかし、私たちはどうしても「自分考え」という、限られた考え方にこだわってしまう悪いクセがあります。先ほどの【目玉焼き】の話で申せば、「目玉焼きと言えば絶対に醤油だ!」とか「いや、絶対にソースだ!」といった感じです。これと同じようなことを、私たちは普段の生活の中で頻繁にやっては、「それは間違ってる!」と、相手のことを簡単に否定してしまうのです。これでは意見が合わない者同士、ケンカになってしまうのは当然のこと。私たち大人は子供に対して「みんな仲良くしましょうね」なんて口では言っていますが、いざ自分のこととなれば相手のことを知り、歩み寄ろうとする努力がなかなかできていないもの。本当に恥ずかしい限りですよね。

そう思えば、やはり私たちお互いは「我を張る」ということを慎まなければなりませんし、わざわざ自分と違うところを探し出しては「それは違う」と否定しようとする、そんなつまらないことに力を注いでいてはいけないのです。これからはそんな視野の狭い生き方をやめて、自分と異なる意見を持つ方に対しては「そういう考え方もあるんですね」と、相手のことを知る努力をしてみる。そうすれば、きっと今まで以上に色んな考え方ができるようになって、お互いに人間として一回りも二回りも成長していくことができるはずです。また、自分と同じ意見の人とは、もっとお互いに向上していけるように切磋琢磨していけば、大きな力となることは間違いありません。こういった姿勢で、みんなが一つの物事に取り組んでいく。そうすれば、必ずやどんなことであっても達成していくことができるのです。折角、同じように一日という大切な時間を費やすのであれば、是非ともこういった前向きな生き方をしたいものですね。

【高祖日蓮大士御妙判】(日蓮聖人のお言葉)
「異体同心なれば万事を成し、異体異心なれば諸事叶事なし」
(異体同心事・昭定829頁)

どんな事であってもみんなの心が一つであれば物事は達成できるもの。反対に一人でもそれを乱そうとする人がいると決して達成することはできません。同じ目的を持っているもの同士、決して相手の批判をしたり、悪口を言ったりなどしてはいけません。争いは禁物なのです。故に、物事を達成する秘訣とは、互いを認め合い、心を一つにして、同じ目的に向かって進んでいくことなのです。

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